いつものように、
最寄駅から自宅までの約10分間を、
物思いにふけりながら歩いていたところ、
なぜだか、お金を使うことの目的にたどり着いた。
そこで出た答えは、
実は、
モノが欲しいわけではなく、
モノを通して、
・買ったことがある
・持ったことがある
・経験したことがある
という欲求を満たしたいだけ。
なのではないかというところに着地した。
買ったときの満足感は一時的なもので、
(ホントのホントォに欲しかったものは一時的ではなく、
いつまでも満足感が続くことも分かっている。高い安いの値段ではない。)
数時間、数日経つとまた新しい他のものが欲しくなる。
モノが増え続ける一方で、
モノを減らすという作業はあまりしない。習慣もない。
使わないモノが増え続け、モノに埋もれていく。
実際にモノを買うときのキモチって、
「これ欲しい」
だと思うのですが、
「これ欲しい」の欲しいを掘り下げてみると、
・これを所有したい
・これを所有したい衝動
(収集癖がある人はお分かりいただけると思いますw)
・この衝動が抑えられない
・どうしても所有したい
・どうしても抑えられない
ふつふつと湧き上がるキモチを抑えられず、
「あーーー、欲しい」
と、
ため息まじりで買うことを半分あきらめている自分
と、
あー何としてでも欲しいと、買う理由動機を探す自分
所持して満足する、所持して満足して、
たまに見返して「これこれ」と自己満足で笑顔で頷く。
この時間が至福で、
これもモノに対してではなく、
モノを通しての幸福感を得たいだけなのだと思う。
他の人よりも良いモノ、高いモノを持っているという見栄を張って、
無駄にプライドを高くもつという、
・東京に住んでいるセルフブランディングという言葉が好きそうな人種、
・ミーハーなことが大好物な人種、
(もちろん全員がそういうわけではない)
無益な競争をしているようにしか思えず、
そもそも興味の本質が自分のやりたいことに完璧にフォーカスされて、
他人に対する興味が薄れてきているのだろうか。
年齢と共になのか、
今の環境がそうさせたのか、
はわからないが、
考え方が大きく変わってきていると実感している。
これって成長したということなのだろうか。
それとも、ただ歳を取っただけということなのだろうか。
と言っても欲しいものは欲しいという考え自体は変わらず、
年齢を重ねてきても変わらないもので、
衝動的に買うという行為はせず、
本当に欲しい、長く使えるモノを選定する眼は持つべきだと思うことはたしか。
浪費ではなく、
消費でもなく、
投資(自己投資)に対して使っていける考え方でありたいものだ。
お金を使うことって、
欲求を満たすためと考えると一過性のモノなので、
喉元過ぎればと同じなのではないかと。
そんなしょうもない欲求死ぬまで所持していていくことは何とかしてやめたい。
結果、
幸福感を得たいのでしょう。
ではー。